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大学時代の旅行で、一番懐かしいのは何といっても3,4年生の夏にゼミの合宿で過ごした妙高高原と野尻湖です。大学の寮から遠望する野尻湖の佇まいが今でも目に浮びます。私の育った桐生市も風光明媚という点ではなかなかのものだと自負していたのですが、信州の湖には雄大ななかにも何か懐かしさを覚えさせるものがあって、卒業後もコンピュータ室での徹夜の合間を縫って、何度か一人旅にでかけ、暮れ行く湖面にボートを漕ぎ出して、来し方行く末に想いを馳せたりしたものです。
31年間勤務した富士通時代には、システムエンジニアとして全国のユーザーを回りましたので、全都道府県にわたって延べ500〜600回は旅行したと思います。また、その間に何度か海外にもでかけました。心に残る思い出は山のようにありますが、大半は仕事の思い出で、旅の思い出とはもうひとつ違うなという気がします。
しかし、ときにはこれぞ旅の醍醐味というような体験もありました。なかでもとりわけ懐かしいのは、1980年秋のドイツ、汽車の旅です。後に富士通の宣伝部長として「世界の車窓から」を企画されたN氏らと5人で、西独国鉄の全線特急券を手に、北はオランダ国境から南はスイス国境まで、ときに無断越境しながらライン川沿いの町々を訪ね歩いた2週間は(もちろん仕事です!)、まさに人生最良の日々だったと言っても過言ではないでしょう。N氏に確かめたわけではありませんが、私はあの時の旅が「世界の車窓から」の原点だったと確信しています。
ところで、これまでのお話の中に、私の家族がまったく登場しないのは、ひとえに私の出不精の故で、妻子に対してはたいへん負い目を感じている次第です。昨年、学会参加の折、妻をエクスカーションに誘って喜ばれたことを申し添えて筆を擱かせていただきます。