心にのこる旅

    東京情報大学 関口益照

『農大学報』 第42巻第2号/1999.1

 
 

 私は元来出不精で、旅行経験といっても、小中高校時代の修学旅行や大学時代のゼミの合宿、それに会社員時代の出張旅行くらいしかありません。それでも時には忘れがたい旅というものがありますので、そのいくつかを紹介させていただきます。

 私にとって、ほとんどの修学旅行は単なる観光旅行にすぎませんでした。日光で陽明門を見た、芦ノ湖で逆さ富士を見た、と言ってもそれはそれだけのことで、それ以上の感興が蘇えることはありません。しかし、その中で一つだけ例外があります。小学校6年の春休みにはじめて体験した一泊旅行、江ノ島・鎌倉めぐりです。このときは帰宅後も興奮醒めやらず、400字詰め原稿用紙
20数枚の絵日記を一気に書き上げてしまいました。あのときの興奮は今でもはっきりと蘇えってきます。

 いったいなぜそんなに感動したのかというと、ひとつは生まれて初めて海を見たことです。江ノ電の車窓から最初に海が見えたときのことは忘れられません。一瞬、車内に名状しがたいどよめきが広がり、次の瞬間それは大歓声に変わっていました。山国(群馬県桐生市)育ちの子供達にとって、初めて見る海岸の光景はあらゆる想像を超えた夢の世界だったのです。

 それにもうひとつ、それは、かつて、新田義貞に従って稲村ヶ崎を越えた自分たちの祖先が体験したに違いない感動でもありました。私達は、「七里ヶ浜の磯伝い、稲村ヶ崎名将の…」と、唱歌「鎌倉」を口ずさみながら江ノ島駅に到着したのでした。それになんと、海岸の砂浜には私の大好きな蟹が走り回っていたのです。こうして、江ノ島海岸は私の心の故郷になりました。

 大学時代の旅行で、一番懐かしいのは何といっても3,4年生の夏にゼミの合宿で過ごした妙高高原と野尻湖です。大学の寮から遠望する野尻湖の佇まいが今でも目に浮びます。私の育った桐生市も風光明媚という点ではなかなかのものだと自負していたのですが、信州の湖には雄大ななかにも何か懐かしさを覚えさせるものがあって、卒業後もコンピュータ室での徹夜の合間を縫って、何度か一人旅にでかけ、暮れ行く湖面にボートを漕ぎ出して、来し方行く末に想いを馳せたりしたものです。

 31年間勤務した富士通時代には、システムエンジニアとして全国のユーザーを回りましたので、全都道府県にわたって延べ500600回は旅行したと思います。また、その間に何度か海外にもでかけました。心に残る思い出は山のようにありますが、大半は仕事の思い出で、旅の思い出とはもうひとつ違うなという気がします。

しかし、ときにはこれぞ旅の醍醐味というような体験もありました。なかでもとりわけ懐かしいのは、1980年秋のドイツ、汽車の旅です。後に富士通の宣伝部長として「世界の車窓から」を企画されたN氏らと5人で、西独国鉄の全線特急券を手に、北はオランダ国境から南はスイス国境まで、ときに無断越境しながらライン川沿いの町々を訪ね歩いた2週間は(もちろん仕事です!)、まさに人生最良の日々だったと言っても過言ではないでしょう。N氏に確かめたわけではありませんが、私はあの時の旅が「世界の車窓から」の原点だったと確信しています。

 

 ところで、これまでのお話の中に、私の家族がまったく登場しないのは、ひとえに私の出不精の故で、妻子に対してはたいへん負い目を感じている次第です。昨年、学会参加の折、妻をエクスカーションに誘って喜ばれたことを申し添えて筆を擱かせていただきます。



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