その3・・・1960年20歳の夏


「美ヶ原高原の歌:仰ぎ見る丘美ヶ原」、「文1−6Bクラスの仲間達」、「お茶大との合ハイ」を繋ぐ思い出


3回目の合ハイ

参加者: 東久雄、若槻治彦、奥原駿一、 黒川 真行、堺、 高橋 泰夫、大村、、関口 益照、、
      (スナップ写真からピックアップ、未完)
不参加: 江田五月、石川嘉延、堀籠幸男、、(1回目に東女と百草園へ行った際は、石川、江田もいた。)

上野駅から夜行で篠ノ井経由。 帰りは、松本経由で新宿へ。
残留組(東、若槻、奥原、、、ら山歩きの常連)は、その足で松原湖(木崎湖だったかも知れない)へ行くと言っていた・・・。

宿泊: 美ヶ原高原バンガローで1泊(バルサンを焚く)
夕食: 自炊・・・カレーライス(豚肉のかわりにコンビーフ)

記憶: 七曲りを登るバスの曲芸運転、夜霧の不気味さ、夜空の星、翌日は快晴で白樺が綺麗だった。


誰かが 「美ヶ原高原の歌」 を調べてきて教えてくれた。 去年からインターネットで探しているのだが、いまだに見つからない。 最初の出だしは確かこうだったと思う。

 仰ぎ見る丘美ヶ原・・・ あーおーぎ みるおーか うーつくしがはらー・・・  
               ミーソーミ  レドレーレ  ミーソララソファミー・・・・

地味なメロディーだったので流行らなかったのだろうが、私にとっては懐かしい思い出の曲だ。


後日譚

残留組から2組が数年後に結婚。
江田石川堀籠等は、半世紀後にそれぞれの分野で位人臣を極めることになる。合ハイ如きに現を抜かしていた我々とは違う?・・・
それはともかく、彼等が真面目な勉強家でいい奴だったことは確かだ。


等々・・・・




(未完)



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