ORBSプロジェクト
私が富士通信機製造株式会社(現富士通)に入社した1964年頃発足した
Online Realtime Banking System 開発プロジェクトの社内コード名
目的
富士通のデータ通信事業は、対NTT取引で、常に目の上のたんこぶであった日本電気や日立製作所を抜くための突破口を開くため山本卓眞をリーダーとして取り組んだ目玉事業だったが、山本の先見の明にも拘らず、日電・日立の総合力と政治力の壁、のみならず、社内における池田敏雄の神格化と人材の集中に阻まれて苦戦を強いられていた。 その壁を取り払って全社体制を作り、起死回生を計ることが最大の狙いだった。 | |
しかし、それと同時に、ORBSは、社内で、我々が盟主と仰ぐ山本卓眞が、“天才”池田敏雄の下積から脱出するための乾坤一擲の勝負を賭けた怨念のプロジェクトとしての性格を帯びていた。 池田自身やその周辺、さらに、当の山本卓眞がどう思っていたかは知らないが、少なくとも新卒の私がデータ通信技術部システム課に配属された頃の課内には、主流の電算機本部に対する敵意にも似た対抗意識が充満していたことは確かである。 私の周辺には、 “池田敏雄、Who?” と言った人々が闊歩しており、わざわざ口に出して褒める人間は一人もいなかった。 あるいは、私だけの思い過ごしだったかもしれないが、それよりも、むしろ殆どのメンバーが、古河グループ内外からスカウトされた一匹狼や怖いもの知らずの新入社員だったからだろう。 |
体制
社長直轄プロジェクト
社長 | 岡田完二郎(旧制一橋高商)・・古河系の長老・元古河鉱業他社長 | |
プロジェクトリーダ | 山本卓眞(陸軍航空士官学校⇒東京大学第2工学部) データ通信技術部次長兼プログラム課長兼システム課長 |
電算機技術部 | CPU | 野沢他(FACOM230/30)) | |
ソフトウエア技術部 | OS&IBM互換 | 丸山他 | |
周辺機器技術部 | 磁気ディスク | 大磯他 | |
磁気テープ | 野沢他 | ||
データ通信技術部 | システム&アプリ | 加藤(旧姓:山村)他 | |
通信制御装置 | 相沢他 | ||
端末機 | 大寺他 | ||
デモシステム開発チーム
居候の独立愚連隊(データ通信技術部システム課⇒業務部営業システム課⇒システム部第4システム課)
プロジェクトリーダ(システム全般) | 加藤栄護(旧姓山村・・早大数学修士 s32?) | ||
サブリーダ(端末システム) | 尾上浩一(学習院大経済 s35?) | ||
開発ツール(センター&端末) | 矢吹和夫(慶大工 s36) | ||
センタープログラム (ホスト側) |
OLTPモニター | 吉川達也(早大理工 s40) | |
電文編集と送受信 | 能勢義章(早大理工 s38) | ||
業務処理とファイル更新 | 関口益照(東大経済 s39)・・大石泰彦ゼミ | ||
木島政夫(慶大経済 s40)・・千種義人ゼミ | |||
端末プログラム (クライアント側) |
安蔵正純(東大経済 s37)・・館龍一郎ゼミ | ||
大島誓一(一橋大社会 s40) |
私は、第一銀行を受注した後、基本設計段階まで担当チームに残っていたが、その後、NTT直営の全国信用金庫共同オンラインシステムの基本設計チームに移り、途中からプロジェクトリーダとして、1954年まで全国を飛び回ることになる。 他のメンバーも夫々、ある者は第一銀行で、またある者は武蔵中原のソフトウエア事業部で、またある者はベンチャーソフト会社の社長として、活躍し、いまなお現役のものも何人かいるようだ。 |
文責: 関口益照(当時の関係者で異論のある方は、関口までメールでご連絡ください。)
return to profile
関口益照サイトへ戻る