(「新・実学ジャーナル」: 東京農業大学教育後援会 2005.7)


情報システム教育の実学化をめざして

関口益照(東京情報大学教授)


1.前職はシステムエンジニア

私の専門は、企業情報システムの設計・開発及び評価手法の研究である。前職は、コンピュータメーカのシステムエンジニアであり、30年間、銀行のオンラインシステムや経営管理システムの研究・開発・構築支援・コンサルティングに従事した。この間、ATMの相互乗り入れシステムなど日本で初めてというシステムもいくつか手がける機会があった。その経験を活かした教育をということで転職したものの、それまで大学に対して抱いていた勝手な思い込みが外れて、こんなはずではなかったと焦ったことも少なくない。

 たとえば、これは企業出身者の通弊らしいが、企業人は一般に大学に対してコンプレックスを持っているので、大学の教員になったら相当高度かつ理論的な話をしなければならないと思い込み、やたらと難しい抽象概念を振り回しがちである。また、顧客の専門家を相手にする企業時代の講演では、一般論を話すと顰蹙を買うので相手の知らない新知識を話さなければならなかったのに対して、大学では誰でも知っている筈の一般論から説き起こさなければならないため、企業時代に1回の講演で話したことを、1学期かけて講義しなければならないことが判った。

もうひとつ驚くと同時に当惑したことは、情報システムを実学として教えている教育機関は本学を含めてほとんどなかったこと、したがって、適当な教科書がどこを探しても見つからなかったことである。それは、システムエンジニア達が、ほとんど論文を書かず、システムエンジニア出身の大学教員が皆無に近かったためである。現に、私の出身元の会社でも1万人以上いる生え抜きのシステムエンジニアで4年制大学の教員になったのは私が初めてであり、同僚たちも始めは信じなかったほどであった。

 こうして、私は、自分がレールの敷かれていない世界に飛び込んだことを悟った次第である。

2.情報システム学の現状

コンピュータに関する教育・研究領域は国際的に、CS(Computer Science)SE(Software Engineering)IS(Information System)の3分野に分類されている。このうちCSはハードウエア、SEOSやプログラム言語などソフトウエアに関する基礎技術や理論を主な対象としているのに対して、ISは、これらの要素技術を用いて具体的効用を実現するための応用技術を扱う分野である。因みに、わが国でSEと略称されるシステムエンジニアの専門領域はISであって、ここで言うSEではない。そして、この基礎と応用という位置づけの違いが、学問としての成熟度やそれらを担う人々と学界との距離に大きな差をもたらす結果となっている。

たとえば、わが国におけるコンピュータに関する最大の学会は情報処理学会であるが、そこでの主流はCSSEであり、ISは事実上傍流で分科会活動が細々と続けられているに過ぎない。また、企業経営と情報及び情報技術の関連を扱っている学会としては経営情報学会があるが、ISに関する論文が学会誌に載ることはまれである。

こうした中で、今年4月、IT産業界が推進母体となってISを主たる研究領域とする初の学会として「情報システム学会」が発足した。関係者の間には従来の経緯からシステムエンジニアが果たして投稿してくれるか懸念する声もあると聞く。しかし、私自身は、ISに関する知識の集積がようやく産業技術の段階を脱して科学に純化する段階に達した証左であると確信しており、今後ここを拠点に、システムエンジニア出身の大学教員が輩出することを期待している。

3.情報システム教育の難しさ

赴任して以来、授業では、どうしたらISをわかり易く教えられるかに腐心してきたが10年たった今でも試行錯誤から抜け出せない。

 3年前から、環境情報学科の情報教育担当の先生方と分担して、国家資格である基本情報処理技術者の資格試験出題領域をカバーするカリキュラムを構成し、学生の資格指向に応えてきた。しかし、この資格は、本来、企業の情報システム部門における実務経験2〜3年の社会人を主たる対象とするもので、実務経験のない学生が完全にクリアしうる性質のものではない。仮に、抽象的な概念や知識を丸暗記して合格したとしても、それが、生きた知識として活用される保障はない。果たしてこのような教育が理想的かと問われたら、「そうだ」と言い切る自信はない。

 これは何も本学に限った話ではない。最近、三菱総研と河合塾が経済産業省からの委託研究の成果として、全国の情報系学科405学科、大学院288専攻科の格付けを公表したが、Aランクに評価された学科の大半が、専門知識教育で高得点を取りながら、実技教育で低評価に甘んじているのも上述の理由による。

そもそも、ISは、利用者の要求する効用を実現するための応用システムであり、個別・状況対応型ノウハウの集積である。理論は、一定の知的理解力があれば座学で完全に習得可能であるが、ノウハウは、体験せずに習得することが難しい。要するに、理屈としては判るが具体的に何のことかピンとこないのである。というわけで、就任以来今日まで、講義によるIS教育は、知識の習得に割り切り、実技にかかわる部分は、ゼミ活動を通じて伝授する方向で対応して来た。

4.ゼミでの取り組み

私が赴任した1995年は、Windows95が鳴り物入りで登場し、インターネット時代に突入しようとしていた矢先だった。そこで、ゼミ活動の目標を全員が高度のインターネット活用能力を持って就職戦線に臨むことに置き、ゼミ活動のすべてをWEB上で展開することにした。この活動は3年目の97年に、日本経済新聞社が主催した全国文系ゼミホームページコンテストにおける特別賞受賞という形で結実した。

しかし、IT技術の進歩と普及はきわめて急速であり、1〜2年後には、ホームページの運営などはまったく当たり前になったので、2000年以降は、WEB上に架空の電子商取引企業を構築し、模擬取引や模擬経営を体験させるシステムの開発に着手し、今日に至っている。

翔風祭での模擬体験コーナー

この間、2000年には、WEB上でパソコンをオーダーメイド販売する仮想PCショップを構築し、ゼミ生に社長以下のポストを割り振って模擬経営を試みた。これは当時としては、ほとんど前例のないプロジェクトであり、その結果は、社長を務めた女子学生の業界トップ企業への就職という形で評価されることになった。

また、2002年度は、仮想の家電量販店システム、及びその経営管理システムを試作、また、2003年度には、電子商取引サイトを構築するためのソフトウエアと解説書をパッケージ化した教材システムを開発し、ゼミサイトからのダウンロードを可能とした。これらの活動により、2003年度および2004年度における優秀卒業論文賞(学長賞)連続受賞という快挙を達成することができた。

学長賞受賞風景

 こうして、95年に赴任してから、3年ごとに時代を先取りしたプロジェクトで実学としてのIS教育をしてきたつもりであるが、最近は、一ゼミ単独ではISの高度化に対応しきれないと感じている。つまり、応用システムとしてのISは、利用者の要求の高度化に対応して高度な知識、ノウハウを要求するが、最近の趨勢は、単なる業務効率化を越え、セブンイレブンに代表されるようなデータ解析とそれに基づく経営判断への活用に焦点が移っている。2002年度に取り組んだ家電量販店の経営分析システムは、この課題への挑戦であったが、私個人の経験範囲を超えたテーマでもあり、必ずしも納得できる成果を挙げることが出来なかった。

 その意味で、今年度から発足した分野別研究室制度は次なる飛躍への突破口になるのではないかと期待している。上述のデータ解析とそれに基づく経営判断への活用に関していえば、私の属する応用ソフトウエア研究室には、社長としての経営判断を模擬体験できるマネージメントゲームの専門家(中尾宏助教授)や、データ解析及び社会調査の専門家(内田治助教授、桜井尚子助教授)を擁しており、現場業務から経営意思決定に至るあらゆるレベルの業務知識を体験的に習得させるための環境を構築することも不可能ではない。今後のプロジェクト計画に当たっては、これらの方々の知識や経験を大いに活用させていただこうと考えている。

5.情報システム研究への取り組み

これまで、学生に対するIS教育の実学化という観点から述べてきたが、ここで、IS研究への取り組みついて一言触れておきたい。本学で取り組んできた主な研究テーマは、「IS教育の実学化をめざす体験的教育ツールの研究」、及び、「IS開発における経営者の観点とエンジニアの観点を結びつけるための新しい要件定義法の研究」の2つである。

 前者は、旧経営学科時代の同僚と前後5年にわたって取り組んだ「ヴァーチャルエンタープライズの構築研究」である。このプロジェクトは、2002年度に基本モデルを試作して終了したが、その成果は、中尾宏助教授による「マネージメントゲームとERPパッケージを統合した企業経営体験学習ツールの研究」に発展して今日に至っている。

 また、後者は、私の個人研究としてスタートしたものであるが、応用ソフトウエア研究室の主要な研究テーマのひとつとして裾野を広げたいと考えており、大学院生との共同研究として進めつつある。昨年度は基本概念を経営情報学会で発表したが、今年度から、経営情報学の実学化に寄与する研究として発展させたいと考えている。


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