西荻窪時代の散歩コース





善福寺公園

木立は当時のままに見える。 ベンチの形も同じように見える。
木の柵が有るにはあったが、ところどころ壊れていてこんなに目障りなコンクリート製ではなかった。
一応、禁止はされていたが池っ淵まで足を踏み入れて、魚を釣っている子供もいた。





東京女子大学

浪人時代、毎日夕方になると、大人びた高校生が、大勢北の方から西荻駅に向かって来るので、さすが東京の女子高生は違うなあ、と感心していた。
それまで私は東京女子大という名前も知らなかったし、それが結構レベルが高く有名な女子大学だということも知らなかった。だから東京のお金持ちの子女が通うお嬢さん高校の一つで自分にはまったく縁の無い世界だ位にしか思っていなかった。なにしろ、女子大と言えば、御茶ノ水と津田塾しか頭に浮かばなかったのだから。まったく “知らないということほど強いものは無い” とはこのことだ。
いつもの散歩道は、大学のコンクリート塀に沿ってキャンパスの裏手に回り、善福寺川沿いの細道を通って善福寺池に達するコースだったから、実際にこの写真の建物を見た記憶は無い。大学1年の時、合ハイの後文化祭に招待されてクラスの連中と出かけたとき、1度くらい目にしていたかも知れない。





立教女学院

浪人一年目に下宿していた田村さんご一家が、久我山に転居されたので、徒歩でお邪魔したことがある。途中、都立西高校 の前を通り過ぎ、ああこれがあの有名な西高校かと一種の憧れに似た気持ちを抱いたものだ。
その帰り道、どこをどう歩き回ったか覚えていないが、いつの間にか井の頭線の三鷹台駅の前に出た。踏切を渡ってすぐの所に、それこそ “お嬢さん学校” といった雰囲気の高い塀を巡らせた大邸宅風の女学校があった。
門柱を見ると 立教女学院 と書かれていた。 さすがに立教大学の名前くらいは知っていたので、たぶんその系列だろうと想像した。
かの荒井由美の出身校として有名になったのは、それから何年も経ってからのことだ。

立教と言えば、東京情報大学教員時代に、何度かゼミの合宿で清里の清泉寮を訪れるなど、いろいろな縁がある。



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