複雑系としてのマネー

         

― 人口社会モデルによるアプローチ ―

 

研究代表者    経営学科  教 授  関 口 益 照

研究分担者    情報学科  講 師  山 崎 和 子

 

研究目的

本研究の目的は、以下の3点に要約される。

(1)経済・金融システムを複雑適応系の一種としてモデル化することにより、従来
   の経済理論が看過してきた現象の解明をめざす。

(2)その第一段階として、現在、劇的な変革を遂げようとしている金融システムを
   とりあげ、これを人工社会の概念に基づいてモデル化する。

(3)研究の第一義的目標は、将来予測ではなく、社会システムの一部としての金融
   システムの構造および作動メカニズムを理解することにある。

 

T.複雑適応系概念による金融システムのモデル化

(関口)

金融分野における理論的および実務的問題点を調査し、複雑適応系の概念によるモデル化の対象とすべき課題を整理した。また、情報技術産業における階層進化モデル[1]を参照モデルとして、マネーの進化および機能特性に関する概念モデルの可能性を考察した。

1.1:金融システムに関わる論争の焦点

(1)金融システム概念の多義性

金融システムという用語は、一般に金融制度、通貨制度といった意味合いで使われるが、ときには金融サービス産業組織や決済ネットワーク等の意味で使われることもある。これは、規制緩和や技術革新によって伝統的な用語では議論の対象を表現し切れなくなってきたことによると考えられる。つまり、この分野は近年、著しく業際化・学際化しているということであり、したがってこの分野を研究対象とするにあたっては、そのつど定義を明確にする必要がある。本研究では、「広義の貨幣(マネー)に関わる制度的および技術的な仕組み:マネーシステム」という意味で使用する。

(2)マネー概念の多義性

マネーには、正貨(金)や紙幣・硬貨などの形に現れた「物」としての側面と、預金や有価証券など、権利を証明する「情報」としての側面がある。また、物やサービスを購入するための「支払い手段」としての機能や金融資産という形をとった「財産」としての機能もあり、これら各々2種類の属性の組合せだけでも4種類の概念が存在することになる。しかも、これら4種類のマネーは、いつでも相互に転換可能であり、どの姿をとるかによってその働き方も変わってくる。したがって、マネーシステムのモデル化にあたっては、これらの要素をどう取り込むかを工夫する必要がある。

(3)マネーの実態および機能に関する理論の対立

マネーに関する学界での主な論争は、1.マネー発行量の増減が実体経済に影響を及ぼす(貨幣数量説)か否かに関わる論争、2.情報技術革新によるマネーの電子化などが金融経済現象に影響を与えるか否かに関わる論争、3.経済主体(マネーの所有者や管理者)の価値観や人生観を経済理論でどう扱うかに関わる論争、等である。いずれも、経済学の大前提をなすような重要なテーマであるが、それにも関わらず一向に決着する見通しが立っていない。その原因のかなりの部分は、人間の意思が関わっていること、および実験(再現)手段がなかったことによると考えられる。そこで、マネーシステムのモデル化にあたっては、これらの要素を何らかの形で取り込む工夫が必要である。

 

1.2:マネーシステムの特殊性

(1)人工システムであること

マネーシステムは、社会システム一般に共通する特徴として、「人間の思考過程を経て設計された環境(制度・インフラ等)」内での複雑適応過程としての性格を持っている。したがって、本来ならば、これら人工的に設計された環境そのものの形成過程もモデルに取り込むべきであろう。しかし、頭脳内における複雑適応過程としての「人工」および「設計」プロセスを再現することは、原理的にはともかく、実際には不可能というべきである。そこで、モデルの設計にあたっては、制度の改廃過程は与件として捨象することとする。

(2)進化するシステムであること

マネーおよびマネーシステムは、人工的に設計構築されたものではあるが、鉄道システムや高層ビルのように構造や機能が固定されたものではなく、その構造や機能は金融技術や情報技術によってたえず進化し続けている。それは、預金からデリバティブに至る金融商品の多様化、および紙幣から電子マネーに至る交換手段の発展を見れば明らかである。

つまり、マネーシステムは、すべてが予め設計されたものではなく、設定された条件(制度等)の下で多数の経済主体が相互作用を繰り返すことによって生成発展するシステムであり、この特性は、おそらく、マネーの持つ情報としての側面がもたらしていると考えられるが、その意味で、モデル化にあたっては情報技術の階層進化モデルとの類似性に着目する必要があろう。

(3)個人や社会の価値観によって振舞いが変わるシステムであること

前述のように、マネーには、「物」としての側面と「情報」としての側面が存在するが、後者は人間の価値観や判断に左右されやすい。一方、支払手段の発達や財産保有手段の多様化は、人々のライフスタイルや人生観に何らかの関わりを持つと考えるべきであろう。このような要素をどのようにしてモデルに取入れるかが重要な課題となる。

 

1.3:複雑適応系としてのマネーモデルの概念

(1)エージェントとしてのマネー

各個体が意思的行動をとる人間を、直接エージェントとしてモデル化しても、あまりにも複雑になるばかりで、おそらく意味のある知見はえられないと予想される。したがって、個々の人間の思考の結果として現れるマネーの動きを中心とするモデル化を目指す。

(2)進化するシステムとしてのマネー

現代におけるマネーシステムの特徴は、1.中央銀行信用(つまり国家信用)を基盤としつつ、2.その上に多種多様なマネーが創出され、3.個々の経済主体の多様なニーズに対応していること、そして、4.各々のマネーの効用は、それを操作する経済主体の知識や能力(マネーリテラシー)に依存しているということである。

そして、これら4点は、いずれもコンピュータを中核とする情報技術と共通する特性であり、この両者と他の技術やシステムの異質性を際立たせている要因である。そこで、IT産業の進化モデルを参照することにより、マネーモデル設計の手がかりを考察した。図−1は、[1]で発表したITの階層進化モデルとそれを参照モデルとするマネー進化モデルの概念図である。

 

 

(3)意味を求める欲求実現手段としてのマネー

前述のようにマネーには、財の交換手段としての機能と、財産保有手段としての機能があり、前者は、個人や企業の経済活動の媒体としてライフスタイルに関係し、また、後者は、効用実現の源資として価値観や人生観と密接な関わりを持っている。このような経済主体の主観的欲求を取り扱う方法としては、1984年に

Gufman & Reynoldsらによって開発された手段目的連鎖モデルが知られている。そこで、これを参照モデルとして、マネーシステムにおける価値観モデルの要件を考察した。図−2にその概念を示す。マネーモデルの各ボックス内の1行目は、社会的認知欲求に対応する手段目的連鎖の例。また2行目は、自己実現欲求に対応する例である。

 

 

1.4:今後の進め方

今後は、以上のようなマネーシステムの特性を踏まえ、複雑適応系としての要件を満足するマネーモデルの開発を目指す。主な課題は、以下の通りである。

 

(1)エージェントとしてのマネーの設計(作動ルールおよび価値観、進化、階層性等との関連づけ)

(2)マネーモデルとマクロ経済現象(物価、金利、GNP、貨幣流通速度等)の接合

(3)ビッグバン現象のモデルによる定義と再現

 

 

 

 

U.マルチエージェントモデルによる人工社会のシミュレーション

(山崎)

2.1:マルチエージェントシステムとは

マルチエージェントシステムとは、人間をモデルとして作られたエージェントを多数コンピュータ上に作り、それぞれのエージェントが自律的に動くことにより動作するコンピュータシステムである。非常に新しい研究分野であり、現在のところ、独自の基礎理論を持たない。様々な研究事例を帰納的に束ねて、それに、マルチエージェントという名前をつけた状態とも言える。

らによればエージェントとは次のようなものである。

「ある環境をセンサ(目、耳など)で知覚し、ある環境にエフェクタ(手、足など)を通して動作(行為)をするものである。個々のエージェントは、知覚を行為に変換する関数によって記述される。この関数(図の?の部分)の表現には多くの異なる方法があり、プロダクションルール、ニューラルネットワーク、意思決定理論などがこれにあたる。学習(適応)の役割をエージェント設計者の設計範囲を未知の環境までに広げるものと捉える。合理的なエージェントは、正しい(成功するような)動作をとる。動作がどの位成功したかを評価する基準を性能尺度と呼ぶ。エージェントは組み込み知識、学習の両者に基づいて行動する。動作が完全に組み込み知識に基づいているものは、自律性に欠ける。」

下線部のそれぞれについて、異論もあるが、エージェントの最小限のキーワードを網羅している。これがマルチエージェントになれば、さらに、協調競合交渉合意などが加わる。

 

2.2:人口社会

もともとマルチエージェントシステムが、協調問題解決、分散人口知能、ロボティクスなどの流れをうけていることから、各エージェントに制御を分散させ、柔軟性、ロバスト性に富むシステムを作ろうという、工学的な応用を目的とした研究が多い。人工生命が「『生命とはなにか』という疑問に対する答えを見出すというALIFEの本来の主張から明らかなように、ALIFEが応用そのものをあまり意識していないのに反して、多くの研究が応用に根ざして進められている。」ことと、いくらか似ている。ごく最近注目を集めている、人工社会では、いわば『人間の営み』を理解するために、人間の集団をコンピュータでシミュレートする。しかし、最近まで、掛け声ばかりで、実際にコンピュータシミュレーションをした研究はごく少数であった。同じ生物の集団を扱うエコロジーでは、エージェントの集団を進化させる研究など数多くのシミュレーションがなされている。エコロジーとの大きな違いは、エコロジーが実際の生物個体の遺伝子をモデル化するのに対して、人工社会では、それに相当するのは、人の考え方、主義主張、意思決定メカニズムなど目に見えないものである。したがって、実際の社会、経済現象と、コンピュータ上のシミュレーションとの間のアイデンティティーは(シミュレーションを見る)人にとって共通でないかもしれない。これが人工社会のシミュレーションを困難にしている原因の1つである。さらに経済現象については、「貨幣とはなにか」という古来の大問題も避けられない。

 

2.3:本研究の内容

(1)『人間の営み』を理解するためには、最適性や合理性から離れて、ある程度人間に忠実にエージェントを表現することが必要になる。

S.Franklinによると、「私は、心を環境から情報を取り出して次の行動に到達するために、それを処理するという意味での情報機械だとは見なしていない。情報は心が感覚を処理するときに出現する。」実際にエージェントがJ. Russellらのいう 知覚 ? 行為のサイクルの中で、知覚が画像あるいはビットマップとして入力された場合、「意味のある情報」に変換しなくては ? に渡すことができない。ほとんどのシミュレーションでは、この翻訳は設計者が前もって組み込んでいる。しかし、本来は、環境、組み込み知識(本能、あるいは、すでに獲得した知識)、学習装置の相互作用によって自律的に行うことが人間に忠実であると思われる。[2]では、「意味のある情報」を抽出することも含めてエージェント自らが学習するしくみを作りシミュレーションを行った。非常に初歩的なしくみであるがうまく機能することを確かめた。

(2)前に述べたように、人工社会では、実際の社会、経済現象とコンピュータ上のシミュレーショとの間のアイデンティティーを得るための1つの方法は、実際のデータと比較することである。しかし、実際の値そのものの比較は困難である。

一方、複雑系に関して、カオスの縁、自己組織化臨界が注目されている。臨界点では、臨界指数がユニバサリティを持つことがよく知られている。

そこで、臨界現象と見られる社会現象、経済現象をシミュレーションすれば、臨界指数(フラクタル次元)については実際のデータと比較が可能になると考えた。そこで、

[3]では世界の人口が静止人口に到達した状態を臨界状態とみて、その過程をシミュレーションしている。

 

2.4:今後の研究の進め方

実際の社会現象、経済現象についての理解を増すことができるようなシミュレーションをする。

「知覚より自律的な情報の抽出(1)」、「臨界現象(2)」、および 「学習と進化の相互作用」など、一般的なマルチエージェントシステムの問題点の追求も同時に行えるようなシミュレーションをする。

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