関口本家 群馬県邑楽郡萱野村(現在は邑楽郡邑楽町萱野、邑楽郡千代田町萱野に分割されており、そのうちの何処か未確認)にある菩提寺(曹洞宗洞源寺?)の過去帳によると、室町時代に上杉家の署司(足軽頭)であった関口某が同僚の荻野某、間仲某とともに主君に願い出て帰農し、利根川の中洲に萱野村を拓いたとある。

その過去帳は、私もかつて(昭和30年頃だったか)父の従兄弟に当たる親戚の間中某(みんな篭屋のせーちゃんと呼んでいた)が、桐生の我が家に大発見だと言って持って来たのを実際に見たことがある。
江戸時代の文書で3家の由来を縷々述べた上、寺の住職、当地の代官および3家の本家・分家の署名と捺印がずらりと並んでいたのを覚えているが、その後その文書がどうなったか知らない。

明治29年の利根川の氾濫では、堤防が306メートルに渡って決壊し、祖父の実家があった邑楽郡萱野村は全村水没、その期間は70日に及んだという。 これ以降、室町時代から続いた関口、間中、荻野の3家は、没落・衰退し、各地(熊谷、足利、太田、桐生・・・)に離散することとなった。

本家の消息も一度調べてみたいと思っていたが、それも果たせぬまま今日に至っている。

亡母に聞いた関口家の家紋は、「桐に立ち沢瀉」だそうだが、兄のところに行けば紋付の着物が有るかも知れない。


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